会報記事


ジョーンズ賞の皮肉


金 田 武 明



イラスト・金田あけみ


 ボビー・ジョーンズは、神格化されていた。全米、全英オープンとアマチュアの四大タイトルを1931年に征覇した。この偉業をグランドスラムと呼ぶようになったのもこの時からである。ジョーンズは、この年、28歳で引退し、法律事務所を開いた。
 米国だけの人気者ではなかった。世界中のゴルファーが、理想の人間と愛敬したのである。まだ、テレビジョンのなかった時代に、それほどの尊敬を受けたのは、やはり、ジョーンズの人柄だったのだろう。
 現在、ボビー・ジョーンズ賞が、毎年、フェアプレイをしたプレイヤーに与えられている。ジョーンズは、いわゆる、聖人君子ではなかった。少年時代、メリオンで全米アマチュアの準決勝まで進んだが、その時には、ミスショットをしてクラブをほうり投げたりして顰蹙をかった。その後、一切、乱暴な動作はしなかったが、感情を抑える努力の連続だったようだ。
 悟りきった禅僧ではなく、煩悩に苦しむ一人の生々しい人間だったのである。
 1927年の全米オープンが、オハイオ州のサイオトで開かれた(ジャック・ニクラスのホームコースとして有名になっている)。
 この時、ジョーンズは、パー4のホールで、短いパットを入れパーであがった。少なくとも、そう見えたのである。ジョーンズは、マーカーに対して「パットのアドレス中にボールが動いたので、5です。」とリポートしたのである。
 同伴競技者もギャラリーも異口同音に、ボールは動きはしなかったこと、誰もそのようには見えなかったことを申し立てた。
 ジョーンズは、静かに「私は見たのです。動いたか、どうかを判断できたのは、私しかありません。皆さん、ありがとう。」といって次のティーへ歩いて行ったのである。
 このことについて、O・B・キーラー(ジョーンズ専属の記者)が、後年、詳しく尋ねようとしても、答えてくれなかったという。
 自分が判断し、申告するというゴルフの最も大切な前提条件の話だからである。ジョーンズのスポーツマンシップと賞讃されることすら嫌っていた。理由は、ジョーンズ自身が次のようにいっている。
 「善良な市民をほめることはよい。しかし、その市民が銀行強盗をしなかったからといって賞讃はしないだろう。ごく当り前のことをしているのだから。」
 ジョーンズ賞が設けられて、私は、何となく、皮肉を感ずるのである。フェアプレイというものを探さねばならぬほど、社会が変わってしまったのかもしれないと思うからである。
(会員・スポーツ・イラストレイテッド誌アジア代表)
(1989年9月 TAM ARTE QUAM MARTE 1より抜粋)


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